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天津日本人会バスツアー レポート


総勢111名、大型バス3台!

518日、日本人会は毎年恒例のバスツアーを開催しました。今回の観光は薊県の黄崖関長城と独楽寺、そして白塔寺です。当日はあいにくの曇り空。しかも肌寒く、現地に到着するまでに小雨が降るなど気を揉みましたが、到着後は雨も止み、時折薄日が差すほどに天候は回復しました。

参加人数は総勢111名で、そのうちTEDA地区からの参加が5名。国際大厦出発組、オリンピック大厦出発組、九河国際村出発組と、大型バス3台に分乗する大規模ツアーとなりました。各組は朝7時に出発し、TEDA組はマイクロバスに乗車し、高速のパーキングで九河国際村組と合流。マイクロバスは怪我人や病人が出た時のための緊急車両として、そのままツアーに同行しました。

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最初の目的地、黄崖関長城には10時に到着。黄崖関長城は世界遺産に登録された国家AAAA級の観光地で、万里の長城の一部です。北京の長城が有名ですが、黄崖関長城は夕陽に照らされると金色に映えることから、この名で呼称されたようです。なぜ金色に映えるかというと、東側の崖が黄褐色のため、そして、この黄褐色の崖の岩が建造に使われているため。またの名を「晩照黄崖」ともいわれています。

さて、到着すると標高が高い分、かなり肌寒く、Tシャツだけでは風邪をひきそうなほど。ほとんどの参加者が半袖のシャツ一枚だけでしたので、口々に寒い寒いとこぼしていました。小雨が降ったくらいですから、長城が横たわる山々は厚い雲に覆われ、木々の緑は深く濃く、まるで山水画のよう。晴れた日の黄崖関長城も美しいですが、雨雲に煙る日もまた格別でした。

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観光というより、ほとんど登山!

関所の巨大な門をくぐり、いよいよ長城を登って行きます。最初はなだらなかスロープでしたが、次第に急な傾斜となっていきます。登り始めて5分も経った頃にはシャツ一枚でも汗を掻くくらい。アウターを着ていた人も脱ぎ始めました。寒いとこぼしていたのが嘘のようです。マイナスイオンに覆われて、いい有酸素運動になりそうです。しかし、なにしろ峻険な山脈の尾根伝いに建造しているわけですから、とてもピクニック気分では登れません。普段運動してない人にとっては難行苦行の行軍だったことでしょう。「なんの罰ゲームだ!」と、こころの中で嘆いたお父さんもいたかもしれませんね(笑)。それでも皆さん、長城の急な階段を一歩一歩、まさに踏みしめるように登っていきます。登れば登るほど景観は異なって見え、麓からは見えない連綿と連なる長城が見て取れます。苦しかった行軍も報われるというものです。

しかしよくもまあ、こんな山の中に延々とこの巨大建造物を築いたものだと感心せずにはおれません。奥深い山の中をヘビが這うようにうねっています。よほど夷狄と呼んだ周辺の遊牧騎馬民族が怖かったのでしょう。その裏返しがこの長城だと思われます。そして、そのDNAは今も引き継がれているのかもしれません。足の軽い人は終点のその先までも踏破したとか。剽悍な騎馬民族の血を受け継いでいるに違いありません!

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死の行進(笑)から生還すると、お待ちかね、ランチタイムです。お弁当持参の人は各人思い思いの場所で昼食をとり、そうでない人は地元の農家が営業するレストランで素朴な田舎料理に舌鼓を打ちました。汗を流して、疲れきった後ですから、ビールが旨いこと、旨いこと。でもまだ観光の続きがありますから、皆さん幾分控えめだったようです。

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中国史をおさらいして無事帰路へ

ランチタイムが終わるとバスに乗り込み、いざ独楽寺へ。独楽寺は、モンゴル系の契丹族の建国した遼朝が、中国文化を摂取して建てた寺。唐代の創建と伝えられ,遼代の984年に再建されたそうです。歴史の教科書のおさらいをしますと、遼は唐朝滅亡後の五大十国時代から北宋時代の間(916年~1125年)に興亡した異民族王朝。北方民族として中国の外に本拠地を保ちながら、中国本土をも支配した最初の征服王朝です。中国史の本流でいえば遼は辺境の異民族王朝に過ぎませんが、天津を含む華北から東北、モンゴル一帯が遼に支配されてしまったため、中国史の本流に食い込んでくるわけですね。ちなみに東北地区や内モンゴルが中国の版図として組み入れられるのは、満州族の王朝である清朝以降です。

独楽寺の一番の魅力は木造建築。中国では日本と違って、寺院は元より祠廟に至るまでほとんどが石造りのため、日本人は癒されず、敬虔な気持ちが湧きません。独楽寺の高さ23mの観音閣や山門は木造で、しかも遼代に再建された当時のもの。観音閣は中国現存最古の木造楼閣建築で、唐風様式を踏襲しているので、日本の寺院建築と同じように見えます。1976年に起きた唐山大地震の際も観音閣の柱はびくともせず、中に鎮座している16メートルの十一面観音塑像(内側は木の柱)もまったく無傷だったとか。千年もの間、歴代の大地震に耐えてきたわけですから、木造建築の素晴らしさを改めて認識しました。また、山門の両側に立つ仁王像も再建当時のもの。日本の仁王像と違い、塑像のためかカラフルに塗装されており、しかもひょうきんなお顔に見えました。日本の仁王像のほうがよっぽど迫力があって怖いです。しかしながら千年の歴史が感じられる佇まいでした。

独楽寺の後は歩いて白塔寺へ。白塔寺も遼代の創建です。白塔寺と独楽寺は近距離にあるのですが、かつて両寺は一体だったとか。白塔とはパゴダ、つまり仏舎利や経文を安置する仏塔のこと。日本のお寺の三重塔や五重塔も同じ用途です。しかし白塔は、インド様式と中国の伝統建築様式が融合し、大理石のブロックで組まれています。それだけに中国国内に現存する塔としては珍しく、南アジアっぽい匂いがプンプン。中国色に染まってないのは、契丹族の影響が色濃いからかもしれません。白塔を三周すると願い事が叶うという言い伝えがあり、参加者の皆さんはお約束どうり三周しました(笑)。

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午後3時には全ての観光を終え、帰路につきました。一人の怪我人もなく、5時半に無事、市内へ戻りました。今回のバス旅行は、天津に住んだ人ならば一度は必ず訪れるという、天津観光の代表スポットでした。天津日本人会は今後も、様々なイベントを行ってまいりますので、皆様のご参加を心よりお待ちしております。